与謝野晶子のふるさと

晶子のふるさと山之口

与謝野晶子(鳳志よう)は一八七八年十二月七日、堺県堺区(現在の堺市堺区甲斐町)で、和菓子商「駿河屋」を営む鳳宗七の三女として生まれました。駿河屋は当時の紀州街道沿い―一九四五年の堺空襲後、西側に拡幅されたため、本当の生家跡は現在の紀州街道(大道筋)の上にあたります―にあり、堺山之口商店街から西へわずか一〇〇mのところです。現在は生家跡として、紀州街道の西沿いに、歌碑「海こひし潮の遠鳴りかぞへつヽ少女となりし父母の家」と、当時の駿河屋と大道筋の様子を描いた説明板が設置されています。

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晶子は一八八四年、現在の住吉大社宿院頓宮のあたり(堺市堺区宿院町東二丁)にあった宿院小学校―卒業時には「宿院尋常小学校」と改称されています―に入学、一八八六年には、樋口朱陽の漢学塾で『論語』や『長恨歌』などを学びました。その後、開口神社の境内に設置された堺区立堺女学校―のちに堺市堺区車之町東三丁に移転、現在の大阪府立泉陽高等学校となります―に入学し、一八九一年に卒業しています。

このように、堺山之口商店街―当時の山之口筋―周辺は晶子が小学校、漢字塾、女学校へ通った地域であり、晶子が生まれ育った唯一の「ふるさと」です。

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